ハイレ・セラシエ1世

第二次世界大戦後は、冷戦構造の中で親欧米政策を採りながらも、汎アフリカ主義を主導し、反面、ソビエト連邦に接近して経済援助を得るなどの優れたバランス感覚を発揮、アフリカ統一機構(OAU、現在のアフリカ連合)設置に寄与した。

内政面では憲法改正、軍の近代化などの改革を行うが、依然として皇帝独裁を続け、旧体制を維持したため、経済面は発展せず、富裕層の腐敗が進んで国民の生活は悪化の一途を辿り、1960年代の国民一人当たりの年間所得は平均わずか70ドルという世界最貧国の一つに転落するなどさまざまな矛盾を国内に生み出していた。1960年には、皇太子アスファを擁立した陸軍近衛部隊のクーデター未遂事件が発生する。