チェーカー

当初チェーカーは組織的体系も整っておらず人数も100人足らずの少数であったが、次第に組織も整備され人員も増やされてゆく。1918年4月11日から12日の深夜にかけてチェーカーはモスクワのアナーキストが立てこもる20軒の住居を襲撃し520人を拘束、25人を処刑した。これがチェーカーによる最初の計画的な行動とされている。

その後も、チェーカーは赤色テロの先鋒となった。ロシア皇帝ニコライ2世一家の殺害には3人のチェキストが関与していたとされ、皇帝の親族や従者に至るまで全員が惨殺された。チェーカーにより帝政時代の富裕層は「人民の敵」「反革命分子」となり、貴族・地主・聖職者・軍人・コサック兵は証拠も無く無制限に逮捕され処刑されていった。民間人も対象となり、中には「外国人に道を教えた」という理由だけでスパイ活動を行ったとされ処刑される者もいた。さらに粛清はエスカレートし、チェーカーのメンバーの処刑まで行われるようになり、内部告発にまで至ることもあった。