エースコック

創業者の村岡慶二が1948年(昭和23年)に大阪市住吉区でパンの製造販売をする龍門製パン所を設立する。その後しばらくして、1954年(昭和29年)には、ビスケットの製造販売をする梅新製菓を設立すると共に、一方でインスタントラーメンの製造を開始する。1959年(昭和34年)にはその第一号となる「料理の上手なコック」という意味の「エースラーメン」が発売される。1963年(昭和38年)には、「ワンタンメン」を発売。同業者である日清食品の「チキンラーメン」と共に、現在まで発売され続けるロングセラー商品となる。

国民啓蒙・宣伝省

ゲッベルスの原案では宣伝省の部局は5つであった。1933年の発足時には9つの部門、150人の正規職員、1600人の非常勤職員で1400万ライヒスマルクの予算を消化する小官庁だった。しかし、同年のうちには正規職員300人と非常勤職員500人に、1936年には正規職員800人、非常勤職員1600人に膨張した。1939年には16の部門を傘下にし、1944年に予算は1億8700万ライヒスマルクに増加している。大臣の下には3人の次官(Staatssekretär)が置かれ、それぞれ別の部門を統括していた。

ヴァンゼー会議

会議が開かれる以前からアインザッツグルッペンという部隊は占領下の東ヨーロッパやソ連においてヨーロッパユダヤ人を組織的に絶滅させていたが、ナチス政権は広大な占領地域に分散し居住する多数のヨーロッパユダヤ人を絶滅させるために必要な官僚組織の協調体制を確立できずにいた。官僚組織は異なる省庁に属し、それらはしばしば互いに競合していたからである。ホロコースト計画を完全には履行できていなかった失敗の原因は、各省庁がヨーロッパ・ユダヤ人の抹殺を必ずしも優先事項として取り扱わなかったことにある。

動物学

19世紀には、生物学の様々な分野が大きく変化した。顕微鏡を使用した研究方法は、技術的革新と共に一定の結果を蓄積するようになり、動物の構造を器官から組織や細胞のレベルで調べることが当たり前になり始めた。それに基づき、生物は細胞から構成されるという細胞説も確立した。この世紀の後半には細胞内の構造が追究されるようになった。ゴルジ体や中心体などの発見はこの時期である。組織や細胞に関する様々な特徴は、電子顕微鏡レベルを除いてはこの世紀の末には、一旦はほぼ完成したと言っていいだろう。

ウィレム・デ・クーニング

デ・クーニングは、1940年代頃からは人物表現に関心を寄せ始める。1950年代初期から始まった「女」のシリーズがよく知られている。ポロックの「ドリッピング」(絵具をしたたらせる)絵画とは異なり、デ・クーニングの描く「女」はキャンバスに筆で描いたものであるが、感情のおもむくままに筆を走らせたように見える画面は、ほとんど抽象に近付いている。その後、画面から具体的なイメージを排した抽象的な作品を描いていた時期もあるが、1960年代後半から再び「女」のテーマに取り組んでいる。

ローレンス・スターン

『トリストラム・シャンディ』は、物語の主人公であるはずのトリストラムがなかなか登場せず、筋書きが脱線に次ぐ脱線になっていると同時に、奇抜なページデザインや記号使用が駆使されていて、「どこが頭で尻尾かわからない、海鼠の化物みたいな作品」と形容される。作中で読者への呼びかけがなされるなど、一種のメタフィクションでもある。

この作品は、大きく2つの特徴が指摘されている。ひとつは、一見脈絡のないでたらめな展開でありながら、小説で取扱われる様々な事件は、実は時系列的に順序立てられていて、再構成が可能となっていること。2つには、これらの「脱線」には、ジョン・ロックが『人間悟性論』(1689年)で初めて指摘した「連想」あるいは「観念連合」の原理が用いられていて、この原理によって、構成的にも内容的にも作品全体が支えられていることである。

グラス・スティーガル法

共和党のハーバート・フーヴァー大統領は、1932年11月のアメリカ大統領選挙で民主党のフランクリン・ルーズベルトニューヨーク州知事に敗れたが、政権は1933年3月まで変わらなかった。死に体のフーヴァー政権と後任のルーズベルト政権は、1933年1月にミシガン州デトロイトで始まったヘンリー・フォード家との提携において取り付け騒ぎ防止で協調して行動できなかったか、あるいはしようとしなかった。FRB議長ユージン・メイアーも、役に立たなかった。

多くの経済史家が崩壊の原因を1929年の株価大暴落から続いた経済問題(世界恐慌)にあると考えたが、一部の経済学者は、崩壊の原因をルーズベルト大統領が大統領令6102(1933年4月5日の金没収法)へ署名したことで金本位制から離脱。

新潮社

1896年に創業された新声社(後の新声社とは無関係)が前身。田山花袋などの自然主義者の書籍を出版していた。1914年には新潮文庫を発行した。他にも単行本、全集などを多数発行している。

文芸雑誌は1904年創刊の文芸誌『新潮』の他に、第二次世界大戦後創刊の中間小説誌『小説新潮』などを発行している。週刊誌は1956年創刊の『週刊新潮』が初めての出版社系週刊誌として成功を収める。

租借地

日清戦争後、英仏独露のヨーロッパ列強が清国を脅迫し、沿岸の要地を租借したのが端緒である。帝国主義列強による勢力均衡の賜物といえ、借りた国は行政長官などを派遣して植民地同様に扱った。また膠州湾、関東州、威海衛では、租借地の周囲に中立地帯が設定された。

中国以外では、1878年にイギリスがオスマン帝国からキプロス島を租借(第一次世界大戦でトルコが負けると植民地として併合)。アメリカが1999年に返還したパナマ運河地帯も租借地であった。